☆雑記帳


No.6 「HB Global Chess Challenge 顛末記」2005.6


☆プロジェクト「あなたのためにミネソタスープ」
           -----ミネアポリスへの道-----
2005年ぼくは再びシカゴで行くつもりだった。しかし2004年秋、耳よりな情報が入っ てきた。それはシカゴオープンの時期あたりに、超駑級のビックトーナメントが計画 され、賞金もあの高額トーナメントのワールドオープンを凌駕するから、それを目当 てに集まる参加者も最大級だろうという情報だった。
うーむ何処でするねん、と聞くと、ミネソタのミネアポリスで行われるらしい。
ということで僕は関東の知り合いに問い合わせると何人か行くというので、ぼくも ということで安直に計画を変更し参戦することになったのである。
ミネソタの地図
トーナメントの名前は「HB Global Chess Challenge」といいます。 現地時間2005年の5月の18日から22日9Rである。 日本からの最短の要参加日時は2005年5月17日より5月24日となるだろう。
本編
時は過ぎ 2005年5月になったのでした。 ゴールデンウイークも仕事仕事で過ごし、いい加減いやになったころようやく出発の 5月17日になりました。僕は昨夜伊丹の空港のホテルで過ごし、17日朝、集合場所 の成田国際空港についたのでした。
USCF海外遠征組は基本的に現地集合、現地解散ですが、今回は往路のノースウエストの便が同じらしく成田のしょぼいターミナル1に集合したのでした。
行く方の姿もちらほらと見え、遠征隊結団式とかありそうなものですが、それもなく 空港のビュッフェで軽食をとり世間話をしながらだらだらと搭乗、ノースウエストは 一路ミネアポロスへと歪んだいい加減なスクリーンに映画の4本立て興行をしながら 飛行をしてゆくのでした。
ずいぶんと時間がたってやっと到着です。入国審査が少し厳しく僕なんか英会話も怪しく通訳まで呼ばれての入国でした。またメンバーの方の中にも審査官の勘違いで個室に呼ばれるグループに入れられた方もおり、なんだよ、米国とかでした。
いくつかのトラブルがここですでに起こっておりますが、入国時にはよく起こるのかもしれません。
いつもながら殺風景な到着ロビーで、ホテルへの車の手配をどうしようか?となりましたが、いつのまにか英語でトラブルなどの交渉する役回りになっていた勝原さんが遠征隊-隊長のようになってまして、彼のさはいで僕たちは無事ホテルについたのでした。
ヒルトン・ミネアポリスでおます。遠征に参加された方々はカテゴリー順に
オープンセクション 小島慎也
Under 2200   勝原亘
Under 2000   赤井清隆
Under 1800   太田俊二
Under 1600   結城治
の5名です。

この中で、僕と太田さんはイビキスラッガーでなおかつ、わがままな人ということで個室を予定していたのですが、4部屋の予約がなんだが3部屋しか取れず、しょうがなしに
太田     スモーカー個室
勝原 赤井  自信満々赤ワインペア
小島 結城  初参加ペア
となったのでした。

僕の野点抹茶セット、コーヒー緑茶などなど各種生活用品日常持込生活ができないかな?とちと不安ですが今回は楽器の持ち込みをパスしましたのでまあ、普通のルームメイト生活ですわ。

キラキラのヒルトンホテルのロビーの様子
ホテルについたのは5月17日現地時間、ゲームは明日の夕方からということで一度会場に行こうということで、中心街のスカイウェイを通って会場に向かいました。
スカイウエイ  ミネアポリス1月の平均気温で-11.1℃と非常に寒い。年間降水量656mmが示すように降雪はそれほどないが、この寒さを避けるために、ビルとビルの2階を回廊で結んだものが、「スカイウェイ」(Skyways)である。
中は広く安全快適です。
この2階の高さにあるスカイウエイを通って大通りも横断でき主要な建物にアクセスすることができます、冬は雪をかぶらずにね。
さて、明日の会場コンベンションホールにつきました。

おお、なんやこの巨大さは、こんな会場見たことないやん。
僕たちは田舎から出てきたハイスクールの柔道チームのように会場の立派さに驚いたのでした。わなわな、感動ですわん。
主催者によって用意された、ボードと駒。
チェスセットが用意されるのが異例だが、このボード大会のために作られた特注品。
ちなみに1241というのはボードナンバー(おそるべき)オープンのトップボードが1だから、2000人を超える参加者のためのボードが用意されたことになる。
おおお、興奮してこんなところでゲームさせて貰って、なおかつ賞金も頂くというのはすまないと、僕は思ったのでした。
さて、その夜はホテル近くのステーキハウスでウエルカムナイトぽく、5人でワインで乾杯し明日からの健闘を祈ったのでした。


5/18日
朝、相談して、あのさ、会場で到着エントリーをして、夕方まで時間があるから、土産を買うついでに全米最大のショッピングセンター「モールオブアメリカ」というところに行こうということになり、午前中にチェス会場に行きました。
うわ、初めてみるエントリーブース
エントリーブースなんてはじめてさ。カテゴリー別ここで、各種の書類にサインして(勝原さんによるとこの大会の映像を主催者が使用すばあいの肖像権の同意書らしい)、サインをして首から下げるリボン付のIDカードを貰う。U2000 Akai Kiyotaka とかプリントされている。気分はウキウキ

あと市内で使う割引券とかいっぱい袋にはいっていて貰いました。
通路、広場にもデモブース、軽食コーナー、初日にはオープニングイベントとか盛りだくさんでこのクラスのチェストーナメントは最大級だと思います。

会場も最大級なら併設のチェスショップも最大級、こんな大きなショップスペースはみたことがありません。

何かといえば、HBトーナメントのグッズコーナー、マグカップ、トレーナーまで、何かテーマパークの手法ですな。

さて試合は夕方なので、郊外の全米最大のショッピングセンター「モールオブアメリカ」にみんなで行きました。中には4つのデパート、遊園地、多数の映画館、500以上の専門店、水族館、多数のレストランがあります。

中の遊園地で僕は太田さんとジェットコースターに乗りました。近くの学校の修学旅行ぽい少年少女の群れと同じく列に並びの搭乗ですが、彼らの騒がしいこと、なんかよく見る映画の子役にいそうな生徒さんに怪しいアジア人2人と見られてますが、ほんと2人で乗りに行ってよかったです。

中の専門店の様子。
アウトドアの専門店が多いのですが、よく考えてみれば、チェスプレイヤーの来るところではないかも知れません。専門店なら市街にもあるし、来年は来ないかも知れませんねとか、でも一度は来ないともう来ないと言えませんねとか、みんなで話しました、が、まー、買い物はいっぱい。ワインも買いました。

さあ、初日の夕方始まりの1Rです。
うーむ、勝原さん、結城さんの相手は来ないし不戦勝らしく、僕は最終疲れてクイーンを置き間違い、ドローでした。うーむ。勝原さんワインの飲みましょう。

5/19日
僕は2R負け、3R勝ち、勝原さん不調、ワイン、飲みましょう。
このころ勝原さんはここまでの局を逆転負けが続き、僕は大言壮語してエントリーしたものの賞金を取れる雰囲気もなく部屋でワインを飲んでいたのでした。
「あーあ、例年の勝原さんの逆転負けだー、と、僕のなんで賞金とれれへんねん」が 去年の幻影のように部屋にこだまするのでした。

5/20-21日
げへへ、3R勝ち、4R勝ち、5R勝ち6R勝ち、このままパンチアウトじゃ、とげへへと僕は笑ったのでした。
勝原さんも小島君のペアリングのTDへの調停もあり、功徳が報われたのか調子がでました。ワインワイン、深夜の映画、街で夕食なきか食べませんかとかで出かけ、中華屋で北京ダック食べましょうよ太田さん、小島君食べ物あるよとか、えっと、結城さんポイントですかわーいわーい、ワインワインとかはしゃいでました。

5/22日
終わりました。7R負け、8R負け.9Rドロー、変って勝原さんの調子があがり勝ち越しました。ぼくも同じ勝ち越しですが価値がぜんぜん違います。太田さん、皆さん、飯食いに行きましょう?あれ太田さん眠い?じゃ残った方でチャイナフード行きましょう!とか行くと閉店で向かいのインド料理店で、チキン、エビ、カレーですわ、ナンください、ワイン下さい、あーん僕が悪かったです。来年もU2000で頑張ります、えっ、まだ出るの?駄目ですか?賞金貰って、シッシ、もう当分来るな、とかでクラス上がりたいです。
結城さん、また来ましょうね、小島君、大学受かったらまたおじちゃんたちと来ましょうね。

5/23日
空港です。ミネアポリス発着ターミナルのカフェです。
まずいですねこのタコス(赤井)、僕のピルツは通じるますねU2200(勝原)、あー来年は準備して、英会話も鍛えて来年来たろ(赤井)、僕のピルツは通じたのが今回の収穫でしたな(勝原)、来年は今度こそ賞金じゃ(赤井)、えっ、まだあのクラスでるのですか?(勝原)、おはずかしながら、しかしぃこのタコス旨くないですね(赤井)、赤井さんタコス旨くないですけれでも、この店に入らなければ次回またはいっちゃうわけで、がっかりするのも必要なんですね。
帰りましょうか?ええ。



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